ジェフ千葉、J2降格に寄せて。 ― 2009年11月09日 23時06分01秒
いやぁ、千葉でも2部に落ちる事があるんですねぇ(^^;
びっくりw
たとえどんなに困難な状況に陥ったとしても、これまでの経験上、
千葉だけは2部に落ちる事はないと信じて疑わなかったのに。
浜松で生まれ育った私にとって、縁もゆかりもない千葉、
それこそ高校サッカー界ではライバルで憎い存在である千葉県の、
ジェフユナイテッド市原・千葉というクラブを好きになったのは、
前身の古河電工というチームが好きだったからです。
というのも、生まれて初めて名前を覚えた日本人のサッカー選手が、永井良和選手。
その永井が所属していたクラブが古河だったため、古河を応援していました。
とはいえ、実際にスタジアムへ足を運んでJSLの試合を見た事はありません。
小学校、中学校時代は、サッカーをプレーする事は好きでしたが、
サッカー観戦は遠い存在でした。
私は1975年生まれですが、86年のリーグ優勝の記憶は全くありません。
87年のアジアクラブ選手権制覇の時の記憶くらいから、かすかにあるかな~ってな程度。
07年の浦和のACL制覇時「日本勢として初めてアジアの頂点に立った!」
ってな文章を読むたびに、激しく違和感を覚えたのは、
小学校時代のかすかな記憶がまだ残っていたからなんだろうかw
永井のバリバリの現役時代は知りませんが、
87年にドイツから奥寺を戻した古河がアジアを制覇した時に、
テレビでちょこっとだけ報道されたり、
友達の家で、友達のお兄ちゃんが見ていたサッカー雑誌を見せてもらったりした事が、
ちょっと記憶に残っております。
元日本代表の中心選手ですから、引退間近とはいえ、有名選手です。
報道も、少ないながらもあっただろうし、
極たまにやってた試合中継でも実況の人が、中心的に扱ってくれたのでしょう。
そーゆーのを見て、好きになったんでしょうねぇ。
ですから、1992年に日本サッカー界がプロ化されてからも、
ジェフ市原を応援するのは自然な流れでした。
静岡県に本拠を置く清水エスパルスも同時に応援してましたが、
どっちかというと、最初はジェフの方を応援してましたかね。
エスパルスは清水であり、浜松ではありませんからね。
大学も、当初はジェフの試合が見たいがために、千葉大学を目指しておりましたが、
センター試験でそこまでの点数が取れず、断念(><)
結局、電通大に入学し、東京で一人暮らしをはじめ、
たまーに、市原臨海まで見に行くようになりました。
学生時代は、観戦仲間と共によく見に行きまして、年間シートも購入してました。
ジェフのチケットは学割ってのがありまして、結構お得だったのですよ。
…スタジアムはちょっとアレでナニでしたけどw
就職し、沼津に来てからも、しばらくは年間シートを寄付的な意味をこめて買ってましたが、
物理的に遠いこともあって、徐々に観戦数も減っていきました。
ナビスコ杯優勝の瞬間には、2度とも立ち会う事ができましたが、
リーグ戦の観戦数は東京に住んでいた学生時代に比べると激減しましたねぇ。
で、2007年に結婚してからは、年間シートの購入もやめ、
ここ2年間は、1度もホームゲームを観戦しておりません。
嫁さんはサッカーに理解があるのですが、理解がありすぎると、
「私が子育てで観戦を我慢してるのに何であなただけ見に行くの?」
となってしまうのですよね(笑)
とりあえず、私が知っているフクアリは、まだ荒野の中にそびえたっている建造物で、
まわりに商業施設や練習場がある現在の環境は想像がつきません。
しかし、見に行かなくなったからと言って、クラブへの愛着が衰えたわけではありません。
今後も、極めて微力ながら、応援は続けるでしょう。
クラブが存続する限り。
ジェフの残留争いは、今に始まったことではなく、
「J2降格」が始まった1998年から、頻繁に関わってきた問題です。
特に1999年には、2試合を残して降格圏の15位にいたジェフは、
残留圏内の14位・福岡と、勝ち点差6、得失点差10もの大差をつけられてましたが、
2ndステージ14節、アウェーで福岡との直接対決を5-0で勝利し、
10もあった得失点差を1夜にして解消すると、
最終節もアウェーでG大阪に1-0と勝利し、奇跡的な大逆転でのJ1残留を果たしました。
2001年から2006年までは、崔龍洙の加入と、
ベルデニック~ベングロシュ~オシムと続いた有能監督の下で、
1993年以来と言っても良いリーグ優勝争いを演じ、
ナビスコ杯2年連続制覇なども達成しました。
ん~が、2007年から成績はまたも下降線をたどり、
2008年には再び「奇跡的な大逆転」のおかげで、J1残留を果たしました。
JSL創設からの44年間、何度となく迎えた2部降格の危機を乗り越えて、
ジェフはここまでやってきました。
ここまでくると、ジェフというクラブには、降格を阻止する何かに
とりつかれているのではないかとさえ思えてくるのですが、
その神通力も今年、ついに底をついてしまったようです。
記録マニアの私としては、こういう記録はできるだけ大切にして、
可能な限り長期間続けて行ってほしいのですが、無念です。
「生涯J1」、続けたかったなぁ・・・。
さて、15位以上に上がれない事が決まったジェフですが、
リーグ戦はまだ3試合残っております。
ジェフは未だかつて、リーグ戦で最下位となった事はありません。
98年のセカンドで最下位になっただけ(年間では18クラブ中16位)
気が付けば、大分がすぐ下まで迫ってきております。
15位以上にはあがれませんが、まだホームゲームも2試合残っております。
最後の気合と、来期への希望を、ジェフに関わる全ての人々に見せてほしいですね。
とりあえず、クラブへの忠誠の証としまして、
次のホームゲームである、22日のFC東京戦は見に行きます。
・・・単に調布祭の研究室OB会出席での上京と重なって都合が良いだけなんですがw
何にしても、クラブはこれからも続きます。
たかだか1回の降格で、世界が終わったかのような思考はとっぱらって、
来年に備えたチーム作りを始めて下さい。
手始めに、FC東京戦での良い試合を期待します。
びっくりw
たとえどんなに困難な状況に陥ったとしても、これまでの経験上、
千葉だけは2部に落ちる事はないと信じて疑わなかったのに。
浜松で生まれ育った私にとって、縁もゆかりもない千葉、
それこそ高校サッカー界ではライバルで憎い存在である千葉県の、
ジェフユナイテッド市原・千葉というクラブを好きになったのは、
前身の古河電工というチームが好きだったからです。
というのも、生まれて初めて名前を覚えた日本人のサッカー選手が、永井良和選手。
その永井が所属していたクラブが古河だったため、古河を応援していました。
とはいえ、実際にスタジアムへ足を運んでJSLの試合を見た事はありません。
小学校、中学校時代は、サッカーをプレーする事は好きでしたが、
サッカー観戦は遠い存在でした。
私は1975年生まれですが、86年のリーグ優勝の記憶は全くありません。
87年のアジアクラブ選手権制覇の時の記憶くらいから、かすかにあるかな~ってな程度。
07年の浦和のACL制覇時「日本勢として初めてアジアの頂点に立った!」
ってな文章を読むたびに、激しく違和感を覚えたのは、
小学校時代のかすかな記憶がまだ残っていたからなんだろうかw
永井のバリバリの現役時代は知りませんが、
87年にドイツから奥寺を戻した古河がアジアを制覇した時に、
テレビでちょこっとだけ報道されたり、
友達の家で、友達のお兄ちゃんが見ていたサッカー雑誌を見せてもらったりした事が、
ちょっと記憶に残っております。
元日本代表の中心選手ですから、引退間近とはいえ、有名選手です。
報道も、少ないながらもあっただろうし、
極たまにやってた試合中継でも実況の人が、中心的に扱ってくれたのでしょう。
そーゆーのを見て、好きになったんでしょうねぇ。
ですから、1992年に日本サッカー界がプロ化されてからも、
ジェフ市原を応援するのは自然な流れでした。
静岡県に本拠を置く清水エスパルスも同時に応援してましたが、
どっちかというと、最初はジェフの方を応援してましたかね。
エスパルスは清水であり、浜松ではありませんからね。
大学も、当初はジェフの試合が見たいがために、千葉大学を目指しておりましたが、
センター試験でそこまでの点数が取れず、断念(><)
結局、電通大に入学し、東京で一人暮らしをはじめ、
たまーに、市原臨海まで見に行くようになりました。
学生時代は、観戦仲間と共によく見に行きまして、年間シートも購入してました。
ジェフのチケットは学割ってのがありまして、結構お得だったのですよ。
…スタジアムはちょっとアレでナニでしたけどw
就職し、沼津に来てからも、しばらくは年間シートを寄付的な意味をこめて買ってましたが、
物理的に遠いこともあって、徐々に観戦数も減っていきました。
ナビスコ杯優勝の瞬間には、2度とも立ち会う事ができましたが、
リーグ戦の観戦数は東京に住んでいた学生時代に比べると激減しましたねぇ。
で、2007年に結婚してからは、年間シートの購入もやめ、
ここ2年間は、1度もホームゲームを観戦しておりません。
嫁さんはサッカーに理解があるのですが、理解がありすぎると、
「私が子育てで観戦を我慢してるのに何であなただけ見に行くの?」
となってしまうのですよね(笑)
とりあえず、私が知っているフクアリは、まだ荒野の中にそびえたっている建造物で、
まわりに商業施設や練習場がある現在の環境は想像がつきません。
しかし、見に行かなくなったからと言って、クラブへの愛着が衰えたわけではありません。
今後も、極めて微力ながら、応援は続けるでしょう。
クラブが存続する限り。
ジェフの残留争いは、今に始まったことではなく、
「J2降格」が始まった1998年から、頻繁に関わってきた問題です。
特に1999年には、2試合を残して降格圏の15位にいたジェフは、
残留圏内の14位・福岡と、勝ち点差6、得失点差10もの大差をつけられてましたが、
2ndステージ14節、アウェーで福岡との直接対決を5-0で勝利し、
10もあった得失点差を1夜にして解消すると、
最終節もアウェーでG大阪に1-0と勝利し、奇跡的な大逆転でのJ1残留を果たしました。
2001年から2006年までは、崔龍洙の加入と、
ベルデニック~ベングロシュ~オシムと続いた有能監督の下で、
1993年以来と言っても良いリーグ優勝争いを演じ、
ナビスコ杯2年連続制覇なども達成しました。
ん~が、2007年から成績はまたも下降線をたどり、
2008年には再び「奇跡的な大逆転」のおかげで、J1残留を果たしました。
JSL創設からの44年間、何度となく迎えた2部降格の危機を乗り越えて、
ジェフはここまでやってきました。
ここまでくると、ジェフというクラブには、降格を阻止する何かに
とりつかれているのではないかとさえ思えてくるのですが、
その神通力も今年、ついに底をついてしまったようです。
記録マニアの私としては、こういう記録はできるだけ大切にして、
可能な限り長期間続けて行ってほしいのですが、無念です。
「生涯J1」、続けたかったなぁ・・・。
さて、15位以上に上がれない事が決まったジェフですが、
リーグ戦はまだ3試合残っております。
ジェフは未だかつて、リーグ戦で最下位となった事はありません。
98年のセカンドで最下位になっただけ(年間では18クラブ中16位)
気が付けば、大分がすぐ下まで迫ってきております。
15位以上にはあがれませんが、まだホームゲームも2試合残っております。
最後の気合と、来期への希望を、ジェフに関わる全ての人々に見せてほしいですね。
とりあえず、クラブへの忠誠の証としまして、
次のホームゲームである、22日のFC東京戦は見に行きます。
・・・単に調布祭の研究室OB会出席での上京と重なって都合が良いだけなんですがw
何にしても、クラブはこれからも続きます。
たかだか1回の降格で、世界が終わったかのような思考はとっぱらって、
来年に備えたチーム作りを始めて下さい。
手始めに、FC東京戦での良い試合を期待します。
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